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1940年5月10日大阪市西淀川区にて大阪商人の父のもとで3人兄弟の長男として生まれる。
1956年4月、浪速工業(現・星翔高校)に入学。音楽部の門を叩くも楽譜が読めず、小太鼓担当に。
自宅で練習していた小太鼓の音を聞いた同級生が、ドラマーを探していたとあるバンドを紹介する。加入するも、相変わらず楽譜が読めないのでワルツ・タンゴ・ルンバなど何十曲を丸暗記。バンドマン生活がスタートする。<写真>バンドマンとして活動中の井上 |

ダンスホール、キャバレー、ビアガーデンと様々なステージで活躍するも、高校3年になった時「もっと、ましなところで働きなさい」という母の苦言で就職を考える。
そして、1959年4月、証券会社に入社。
リーゼントにアロハシャツといういでたちで出社。見事に反感を買う。
そして折り合いが合わず退社。バンドマンへと戻る。 |

1968年 先輩バンドマンに誘われ、楽器の教則本を販売する会社「ミュージッククレセント」を設立。人望が厚かった井上が社長に就任。
しかし教則本は全く売れず、いきなり行き詰る。
教則本は売れなかったが、先輩達がやりはじめた弾き語りが人気に。
井上も弾き語りを試みるが、いかんせんドラムではできない。そこでオルガンを練習し、クラブでよく歌われる約200曲を、相変わらず楽譜が読めないのでまたもや丸暗記。
しかし、この楽譜が読めないことが幸いする。
他の弾き語りの人達が譜面通りにしか演奏しないのに対し、井上はテンポもキーも歌ってる人にあわせて演奏したのだ。 |

1971年 常連客より慰安旅行先で歌を披露することになったので伴奏に来てほしいと頼まれるも、どうしても外せない仕事があり同行は無理。悩んだ末に井上は常連客に合わせたキーとテンポで録音した伴奏のテープを渡したところ、これが大好評。
「この曲も作ってくれ」と何曲も依頼されることに。
これはビジネスになるんじゃないか?と閃いた井上は、ギターアンプと100円で5分間動くタイマーと再生機を合体させた機械を作った。これは「8
JUKE(エイトジューク)」と命名され、井上自ら演奏した楽曲を収録した8トラックカートリッジテープを再生し、その伴奏にあわせて歌うことのできる、「カラオケ」第1号機の誕生であった。<写真>カラオケ第1号機「8
JUKE(エイトジューク)」
その後「8
JUKE」は爆発的ヒット。「ミュージッククレセント」を法人化し、「株式会社クレセント」を設立。カラオケ機器レンタル業務を本格化させる。
その勢いは留まるところを知らず、クレセントがカラオケシステムをレンタルしていた店舗は50万軒。6人だった社員は66人まで急成長する。<写真>当初は自宅をスタジオに改造し録音・編集をしていた。防音設備が不完全であった為、トラックが通る度に、録音の中断を余儀なくされていたという。 |

しかし、その勢いにストップをかけたものがある。1982年に登場した「レーザーディスク」だ。
「テープからの移行は数年はかかるだろう」と考えていた井上だったが、レーザーディスクへの切り替えは想像以上に早く、テープを取り扱っていたクレセントは倒産寸前まで一気に追い込まれてしまったのだ。
その後、企業努力により業績を回復させるも、一連の責任を取り、1987年社長職を後身に譲り、自身は平社員に降格という仰天人事を発表。
社長が同僚になり、混乱する社員多数。
平社員に降格した井上だったが、1991年には部長、1992年には本部長に昇進。そして社長を辞任して7年目の1994年ついに会長になった。会社も年商100億円企業に成長する。<写真>商品の宣伝にも社長である井上自ら登場 |

会長になった井上だったが、現場から退いたことが災いし、うつ病になってしまった。
それを知った知人が「犬を飼えば運動も心のケアもできる」とアドバイス。早速井上はゴールデンレトリバーを飼いはじめる。
「ドン兵衛」と名付けたその犬と生活するうちに、うつ病も薬がいらないほどに快復した。また意欲が沸いてきた井上は、それまで無かった「カラオケ協会」の設立を思い立つ。<写真>現在も8頭の犬と共に暮らしている。写真はジャーマン・シェパードの「リキ号」
1994年「株式会社クレセント」を勇退し、「カラオケ協会」設立のために活動するも、設立目前にして資金が底をつく。後に「全国カラオケ事業者協会」初代会長になる毛塚
昇之助氏に意思を継ぎ、井上はカラオケ業界から引退する。
翌年、「全国カラオケ事業者協会」が設立される。 |

1999年
「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」として世界的に有名な週刊誌「TIME」に掲載。2004年にはイグ・ノーベル賞を受賞。日本ではほとんど注目されなかった井上だったが、その功労が世界から称えられることになったのだ。そして日本でも2005年に井上をモデルにした映画「KARAOKE」が全国上映される。
また同年、映画の原作「カラオケを発明した男」(著者 大下英治)が出版される。
<写真>映画「KARAOKE」のチラシ。主演 押尾学さん、ヒロイン 吉岡美穂さん。

「これだけカラオケが世界中に広まったのだから、寝ていても莫大な富が入ってくるに違いない。」そう考える人も多いことだろう。しかし実は井上はカラオケの特許を取っていなかったのだ。専門家の計算によれば、もし特許を持っていたら少なくても100億円が手に入っていたという。しかし井上は…「特許を取るなんて思いつかんかったから、しゃーないわ。わはは!」と笑い飛ばす。
この大らかさも井上の魅力のひとつだろう。 |

引退した井上は、「有限会社イノウエ」を設立し、ゴキブリ駆除機の販売、卸し業を手がける。何百万円もするカラオケ機の内部にゴキブリが糞をし、機械が故障するという糞害にカラオケ業者が悩まされていたのだ。
また孫のアトピー性皮膚炎がきっかけで、洗剤不要の洗浄液を生成する重曹電解水生成器を商品化。<写真>電解水生成器「アクアトリオ」
そして現在では井上自身も助けられた犬などのペットサービス事業を計画中。
年齢的にはもう定年を過ぎているにもかかわらず、井上はその歩みを止めることなく、今でも新たなアイデアを産み出し続けている。彼のゴール地点はまだまだ先にあるようだ。
有限会社イノウエについて詳しくはこちらへ
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